Gは惰性か否か

あ〜やばい、ブログって非常に書くのが楽チンですな。
今まで手間かけて日記更新してたのは一体何だったんだろう。
これからはひょっとすると更新頻度が上がるかもしれません。

「慣れは恐ろしい」ってよく言いますよね。
でもよく考えてみてください。
何が一体「恐ろしい」というのでしょう。

自分にとって異質で、受け入れ難いと思っていた事柄も、慣れてしまうと
何とも感じなくなることってよくありますよ。
非日常が一転して日常化しちゃうわけですね。

例えば僕は子供の頃牛乳が大嫌いでした。
給食では必ず毎日出されていましたが、子供ながらにも
なぜこのような白濁液を強制させられているのか甚だ疑問でした。
しかし無理やり飲んでいるうちに、別に何とも思わなくなりました。
あぁ普通だな、飲んであげるのは普通のことだな、
白濁液を今日もゴックン、ごちそうさま!・・みたいなかんじで。とんだ企画モノやわ。


さて、僕は牛乳に慣れることによって飲めるようになったわけですが
何が一体恐ろしいというのでしょう。
全然良いことじゃないですか栄養も豊富でしょうし。

「慣れは恐ろしい」という言葉には、
初めからそんなの自分には受け入れ難いに決まっている。
異質なものは異質でしかないんだ。だからそれをいつの間にか
取り込んでいることは恐ろしいんだ!・・みたいな。
そういった否定的かつ保守的なものを大いに感じますね。

少し話を発展させると、僕は「文化=慣れ」だと考えています。
地球上にはいくつもの国々があり、その数だけ、いやそれ以上の
多種多様な文化が存在しています。
誰もが、生を授かるや否や自分の周りの環境に影響を受け、
人とコミュニケーションを取りながら「自分」というものが形成していくわけです。

生まれてから現在に至るまで様々な経験をするうちに、
無意識下で「これはふつう」「これはへん」という風に分類出来る術を身に付けます。
そしてさらに、経験から得た情報を、
「蓄積する→分析・分類する→応用させる」ことが出来るわけです。
当然のことながら、分析するためにはその対象となるものが
必要となるわけですから、その対象いかんで分析結果は左右され決定してきます。
この決定されたものがいわゆる我々一人一人の「常識」であり
マクロな視点で見ると「文化」だと思うんですよね。

人間の情報処理の流れの最後に「応用させる」とありますが、
この能力がまた優れているのですよ。
その中でも「自己リセット拡張機能」は特筆すべきものです。
変な言い方ですが、人間は文化に「洗脳」されてしまっても
それを捨てて新しい文化を取り入れることができます。
いや正確には出来うる、ってとこかな。
一つに縛られるのではなくいくつもの文化を吸収し、広い視野や考え方を
持つことも出来うる、のです。

というわけで、グダグダしょーもないことを書き綴ってきたわけですが
何が言いたかったかと言うと、もっと老若男女入り乱れて
みんなでGの話しようよってことなんですよ。
あっ、そもそもこの日記自体がGか。